2012年5月 4日 (金)

たった三つの言葉で幸せにー医学と医療の周辺

たった三つの言葉をいつも使うだけで幸せを感じて生きることができます。笑顔で三つの言葉を使いましょう。

先ず自分の幸せのために、そして相手の幸せのために、

たった三つの言葉をいつも使いましょう。

1.こんにちは!今日はじめて会った相手には笑顔で「こんにちは!

2.そしていつも笑顔で「ありがとう!」を用意しよう。

3.そして絶えず笑顔で「ごめんなさい」「すみません」を用意しよう。

たったこの三つの言葉を絶えず使うことで相乗効果がどんどん生まれ、幸せの良循環ができます。

笑顔の「こんにちは」の一言でよい人間関係の出発点ができます。これからの人間関係のスムースな運びの舞台作りが出来ます。信頼関係を樹立する出発点です。言われた相手は決して悪い感じはしないでしょう。あるいは今までのわだかまった人間関係が修復される可能性があります。

笑顔で「ありがとう」は自分を芯から幸せな気持ちにさせます。感謝の気持ちを持つと自然と笑顔が生まれます。どうしてかそのメカニズムははっきり解りませんが、現象学的なエビデンスはあります。

笑顔で「すみません」は自分の足らなさを相手に謝することで相手は寛容となり自分を受け入れてくれます。

はじめに言葉ありき。人間は言葉の動物です。言葉一つで自らの幸せを築くことが出来ればなんと簡単なことでしょう。

「こんにちは」は「おはよう」でも「こんばんは」でも時間にあわせればいいんです。この言葉が自分の幸せの出発点です。

アメリカには、Hi(ハーイ!)という挨拶言葉があります。道などでただなんとなくすれあった人同士が交わす挨拶言葉です。笑顔でHi!と声かけられるとこちらも笑顔でHi!と答えざるを得ません。アメリカ社会の歴史にも由来しますが、これはなかなかいい習慣だと思います。また、この社会では歴史的に自分を守るために身についた習慣でもあります。

また、「こんにちは」には他の人々へのよい副的作用があります。この言葉には周囲に明るい雰囲気を醸し出します。英語のHello!やHi!もそうですが、日本語の「こんにちは」には独特の人間的親しみと温かさがあります。勿論、時間によっては「おはようございます」でも「こんばんは」でもいいのですが、「こんにちは」はいつでも使える便利さがあります。もっとも、花柳界や水商売の仲間同士では夜でも初めて会うときは、「おはようございます」というような習慣がありますが。

「ありがとう」はなんと響きのいい言葉でしょう。その言葉の相手だけではなく、自分と関わる全ての人々に感謝し、周囲の動物たち、植物たち、諸々の自然に感謝をするとき、不思議なことにおのずと幸福感が生まれてきます。

「ありがとう」はある特定のあるいは不特定多数の相手に対して使うことが大半ですが、その言葉には自分の相手(パートナー)を生んでくださった両親、尊敬する師や先輩、友人、にも広がりを見せます。翻って、自分をこの世に生んでくださった両親、その両親を生み育てた祖父母への感謝とつながります。厳しく叱ってくれた両親や師、異なる意見で激論を交わした友人、見知らぬ人から親切な行為を受けたことへの感謝の気持ちを持ち続けることができると、なんと幸せな気分になれることでしょう。自分を育んでくれた自然、動物たち、草木にさえ感謝の気持ちを持つことができる人はなんと幸せな人でしょう。

「すみません」、「ごめんなさい」という言葉を冒頭に、あるいは言葉の最後に付け加えると、言いたい要件の内容が相手によく伝わることがあります。相手の多忙な瞬間でも、悲しみの瞬間にも何気ないこの言葉が相手の気持ちを和ませるでしょう。そして要件がスムースに進むでしょう。

人は誰でも欠点を持ち、間違いを犯し、相手の心を知らず知らずに傷つけているものです。それを修復し合うことが出来るのが人の叡智だと思います。人は動物の中で最も繊細な感情を持つ動物だと言われています。ときには憎み合うこともあるでしょう。しかし、人の叡智はそれに打ち勝つ高等な大脳皮質を持っています。その憎んでいた自分の心を陳謝し深謝することに昇華する能力を持っているのです。

それは人種の違い、宗教の違い、国の違い、職業の違いを超えて発揮できる能力をヒトは持っています。ヒトの脳力です。現状はそれがまだ十分に発揮されていないだけです。いずれはその能力が発揮されるでしょう。UNはその第1歩だと思います。

三つの言葉に添えて、笑顔を作ることが出来ると自分の気持ちが和みますし、相手の気持ちも和みます。

笑顔が生まれないときは敢えて笑顔をつくると脳幹と大脳辺縁系を刺激して幸せな気分になります。すなわち、笑顔を顔面表情筋で作ることによって、その刺激がフィードバックして脳幹を介して感情の中枢である大脳辺縁系の幸福感の中枢を刺激するのです。これはある程度訓練が必要ですがすぐに習得できるようです(12)、またそのヒトの仕事の生産性を高めるようです(3)。

例えば、お父さんお母さん、私を生んでくれてありがとう、こんな私でごめんなさい、と笑顔で口に出していってみてください。厳しい言葉で叱ってくれてありがとう、と言ってみてください。幸せな気持ちになります。裏切られたと思った友達に、こんな私でごめんなさいね、と勇気を出して言ってみてください。相手はもうあなたを裏切ることはないでしょう。

医療の現状でも全く同じことが言えます。医療は医学と違い不完全です。不完全だからいろいろと問題が起こります。手技の未熟さやミスは医学では起こりませんが、医療では起こることです。しかし、何といっても多いのが人間関係のトラブルです。それは人と人とのつながり、つまり信頼関係が重要だからです。患者と医師感、医療スタッフ間、医師と医師間、などです。

患者が医師を信頼し感謝の気持ちを表すと、病気は良い方向に向かいます。医師が患者に自分の技術の未熟さを絶えず陳謝する気持ちを失わなければ患者の病気は改善されます。このことにも医学的エビデンスがあるのです。

最近、うつ病あるいはうつ状態の患者が増えています。医療スタッフの中にもうつ状態の方がたびたび見られるようになりました。我が国の医療システムの問題、現代の人間関係の複雑さなど、病態が幾重にも重なった状態にも原因があります。だからこそここで敢えてこの三つの言葉を笑顔で送ります。(20120504.)

(文献)

1.Mühlberger A, Wieser MJ, Gerdes AB, Frey MC, Weyers P, Pauli PStop looking angry and smile, please: start and stop of the very same facial expression differentially activate threat- and reward-related brain networks. Soc Cogn Affect Neurosci. 2011 ;6:321-9

2.Gilbert DThe science behind the smile. Interview by Gardiner Morse. Harv Bus Rev. 2012 ;90:84-8

3.Schulte P, Vainio HWell-being at work--overview and perspective.Scand J Work Environ Health. 2010 ;36:422-9.

 

2011年9月10日 (土)

我が家のネコから学ぶ

我が家のネコから学ぶ

我が家のメス猫ミー子は今年で24歳である。純白で顔は女房に言わせると美人であるそうな。

今は東京のこじんまりしたマンション暮らしだが、新潟在職中、仕事場近くに小さな住まいを建てて半年ぐらい経ったある日、ミー子はネコの額ほどの裏庭に迷い込んで以来ずっと居座っている。迷い込んだのが1987年秋だったから今年(2011年)で丁度24年になることになる。私はネコ嫌いのほうである。向こうもそのことを認識しているとみて、居座って以来、まず餌をねだる時以外は私には近寄らない。マンションのラウンジとキッチン、女房の寝室という3つの部屋の空間だけで暮らしている。外の散歩をさせてはどうか、との私の提案に女房は否定的である。その理由は東京の空気はネコにとってよくないことと、見失うことの恐れかららしい。しかし、ミー子の方がそれに満足しているかどうかは判らない。

上の3つの小さい部屋以外は敢て行こうとはしない。それでも時々上の3つの部屋を仕切っているドアがたまたま開いていると、いつの間にか小さな廊下に出て、私の書斎の前できょろきょろじろじろ部屋の中を見渡している。

私のネコ嫌いの理由の第一はネコの鳴き声である。ミー子は特によく鳴く。その鳴き声たるや多彩である。音階の高低からすると3オクターブは優に超える。その強弱、長さ、リズムもさまざまなのである。あまり連続的に泣き出すと、気の短い私は「うるさーい!」と叫ぶのだが、これは全く効果がない。何時ものことだが、結局、私がその場から退却することになるのである。

さて、そのミー子はここ数年の間に3回ほど食事をせず、じっと動かない日が2,3日続くことがあった。そんな時はただひたすらじっとして動かず、時々水を飲みに行く以外は何も食べない。部屋の隅か女房のベッドで寝たきり全く動かず声を出さない。その間、女房は脱水を心配し濡れたガーゼで口元を潤していると、3日ほどすると自ら餌コーナーの水を飲みだし、その回数が増え、ついに小さい声で「ニャー」と餌を所望するようになるのである。

しかし、今回だけは違っていた。1週間たってもじっと動かず、水も飲まない日が続いた。

女房も脱水に心配して何時ものように水で浸したガーゼで口元を潤ませていた。身体は衰弱し毛並みも悪くなり力なく、骨盤が飛び出して見えるようになった。もうそろそろ寿命かなと思ったが、一方では獣医に診てもらいに行こうかとも思った。しかし、この高年齢で治療のため痛めつけるのもどうかと思い悩んでいた。1週間もたったころ、何も食していないのによたよたと便をしたのである。すると今度は自分で水を飲みに行ったのだ。

おー、何と言うことか、1週間の断食後、自ら体調を回復したのである!次第に水の量が増え、小さい声ながら、「ニャー」と餌を所望するようになり、鳴声は日増しに大きくなり、餌の量が増えて体重も毛並みももとの元気な身体に戻ったではないか! ただ、この断食とも言うべきエピソード以来、何故か、それまで目がなかった魚類を好まず嗜好が鶏肉に変わったことである。

このミー子の回復力の素晴らしさから、私達は何を学ぶべきだろうか?

先ず、第1に食欲のないときには無理に食べないことである。こんなとき、現代医療では、点適等による栄養補給をするのが慣わしである。食欲のないのはそれだけ食事を消化する機能が失われているはずである。その原因には消化器機能の不全による。その原因は、例えば、腸管の運動機能障害、消化酵素の分泌障害、胃腸管の炎症や血行不全だけではなく、肝臓や腎臓等の内臓機能障害、精神的な影響による自律神経の機能不全、あるいは薬物の副作用など色々である。症状として食欲不全として現れる。

人間は食欲がなくなると、本人もさることながら周囲も、さあ栄養失調になると大変だと心配のあまり無理に食して、挙句の果て点滴で栄養補給をすることになる。

これは機能の低下した機械に無理な負荷をかけるようなものである。たちまち機械はストップしてしまう。食欲を統御しているのが脳の深いところにある大脳辺縁系である。大脳辺縁系の指揮下で視床下部というところにある自律神経中枢や脳下垂体のホルモン分泌中枢が頑張っている。視床下部が身体の臓器の機能を司っていると言ってもよい。その機能に及ぼす大脳辺縁系をコントロールしているのが大脳皮質である。

ヒトを含め動物は器械とは異なり色々な自己修復力をもっている。感染があれば血液や組織の菌や異物を攻撃したり、一部の組織の血行が悪くなると新しい血行ができたり、一部の組織が損傷されると新しく組織が新生されるなど、である。動物では人にくらべ大脳辺縁系の影響が大きい。その影響下で行動する。食欲がなくなれば食せず食欲がでてくるまでじっとしている。そのうちに臓器の障害部位の修復がゆっくりと進んでいるのである。飢餓の状態下で緊急修復過程が発せられるのである。そこには消化器官から発せられる情報が大脳皮質や大脳辺縁系に受け止められ、視床下部を介して、自律神経活動の制御やホルモン遊離、組織免疫細胞、血行再建機能などが緊急動員されるのである。

ここで我が国のエンジニア西勝造氏が1927年に提唱した健康法やそれを自ら実践した甲田光雄医師の考えが想起される。両氏の飢餓療法は最近の文献で次第に証明されてきているが、それが、この我が家のミー子にも適応されているのではないかと思われる。

食事制限や絶食が動物の寿命を延ばすことは以前より知られている。そのメカニズムが最近分子レベルでさらに分析され、またヒトにおける臨床実験でも研究されている。

一方、センテナリアン(100歳以上のヒト)の中に、大食やステーキを欠かさないヒトがいること、喫煙者もいることなどが、メディア等で報じられている。しかし、これは遺伝的に特殊な人達である。科学は平均で比較するので、特殊な例は入らない。したがって、そのような特殊なヒトと同じように生活するのは大変危険なのである。

わが家のミー子もそれを証明しているように思われる。食欲のないときは食せず、身体を休めて自己回復力を待つのである。ミー子はそれを本能的に知っているのだろう。2011.09.10.

2011年4月 3日 (日)

Now is the time for fundamental structural changes in Japan

Now is the time for fundamental structural changes in Japan

Writing these short comments reminds me of the time when Mr. Obama was elected as the presidential candidate of the Democratic Party in the United States of America. I was really surprised by this memorable event, and proud of the American people, since I could not imagine anything like this could happen from my personal experience during a stay in the United States of America in the 1960’s.

Back to this country, nothing has changed since that time in terms of the thinking and behavior of the Japanese people. It is reflected by the survival in government of a party, the Liberal Democratic Party, for over half a century since the 1950’s. Of course, there have been many developments in industry, technology, science and economy but not with politics. Politicians are elected by people in this country in just the same way as in other developed countries. That means there are no changes in thinking of people of this country even after the end of the World War II.

Why is this? Because, I think, it originates from the history of this country. Almost all behaviors or events in everyday life of the Japanese people fundamentally come from psychologically suppressed minds influenced by the Tokugawa Government policy (Bakuhan-Taisei), which has been inherited by the slightly modified Meiji Government. The Emperor has always been placed at the top of the Government and used as a front and justification for failures of Governmental administration. A cozy relationship between political and business circles has been firmly created during the long survival of one Party’s rule, which has been smartly engineered by the bureaucrats. Thus, the politicians have used the bureaucrats to their political ends, and vice versa.

This fundamental structure inherited from the Tokugawa regime is observed in every social activity and is even deeply embedded in people’s minds, a sort of DNA of their central nervous systems.

Reflection of this fact

The policy of the Tokugawa (Bakuhan-Taisei) was “Don’t let them (people) know, let them be dependent on the government.”

In facing up to this unprecedented large scale earthquake with tsunami followed by the crippling of the Fukushima nuclear plant, the dealings of the Tokyo Electric Power Company(TEPC), the Nuclear Safety Commission of Japan, the Nuclear and Industrial Safety Agency, and the government are just the reflection of the Tokugawa regime.

It should be cited as one of the most serious problems that there are no independent and objective institutions which are able to check this private company, TEPC. Neither of the previous two agencies were expert teams but simply bureaucrats and scientists funded by the government. The management of the company could have been arranged and manipulated by the circles of TEPC, bureaucrats and politicians.

Secrecy by the TEPC has thus been protected by these firm inner circles, which is also supported by scientists who are somehow involved in this business. The Japanese people now are astonished by realizing that there have been no independent peer review organizations to secure the safety of the TEPC nuclear plant.

How to improve Japan’s fundamental structure

This must be the long way to change fundamentally the social system so far experienced in this country. It seems that the Democratic Party has been struggling to change these fundamental structures but has never achieved it, being resisted firmly and powerfully by bureaucracy.

I would like to suggest the following two methodologies for achieving the fundamental change of the Japanese structure, the ghost of “Bakuhan Taisei”.

First, it is essential to teach the young students an accurate history of this country, particularly modern history, and the real meaning of democracy. The Japanese people have never had the chance to learn what democracy stands for. Democracy was pushed into acceptance during the occupation by the American troops after World War II. To accomplish this, the best way is to send our young people to foreign countries so that they may learn the situation in Japan through their own eyes from an objective standpoint.

Second, it is necessary to change the structure of centralization in politics, the bureaucratic government, to establish a real democratic society. This bureaucratic centralization to Tokyo means secrecy; since it is vertically divided into divisions which have no contact with one another and blocks scientific thinking. This vertical sectionalism had hindered my scientific activities during my stay in a national university, and still remain. The united Asian Union is an ideal and may be the next step. The first step should be the dispersion of the central political power to the local autonomy, and build up loosely a united Japan.

This country is small in area, but is scattered like chop sticks along the Japan Sea being composed of four islands close together and of Okinawa far away. These characteristic geographic features provide different cultures and the way of living. The stoicism and endurance are characteristic of the people, living in the north-east part of this country and suffering from the present enormous disaster. Western journalists appear unable to grasp the subtleties in the mode of thinking and living of the people of Japan. Thus, stimulation of many diverse local people in an effort to cater for their activities and promote their own specific culture and economy is needed to establish really effective local government and hence this country.

April 16th, 2011
Koki Shimoji, MD, PhD, FRCA
Professor Emeritus, Niigata University

2010年11月 5日 (金)

横のつながり:我が国の医療にこれから求められるもの

―父と義父の終末期から見えてくるもの―

個人的な話になりますが、以前、私は新潟市で「脊髄機能診断・モニター」という国際シンポジュ ウムを開催しておりましたが、会の中間日何か胸騒ぎがして父の病状について郷里那覇の兄に電話をしてみました。すると兄からたった今父が某県立病院で息を 引き取ったということを告げられました。シンポジュウム開催中、すぐに帰る訳にもいかず、悲しみと悔やみに打ちひしがれておりました。休暇を取り帰省し父の終末期のことをその場にいた姉から聞くにつけ、今度は怒りが込み上げてきました。父は呼吸困難を訴え、何とかこの息苦しさを取って欲しいと訴えていたようですが、それ以上のことは出来ないという理由で、医師も看護師もそれほど熱心には対応してくれなかったようでした。あまりの息苦しさに、自ら酸素マスク を取り払い、そのまま意識を失って事切れたようでした。父は難しい血液疾患で治療中でしたが、主治医は殆ど姿を見せず、臨終の時も既に帰宅しておりまし た。患者にとって息苦しさは大変な苦痛です。たとえ回復し得ない疾患であろうとこの苦痛を和らげて頂けなかったのが悔やまれます。

 義父の臨終の場合も同様、私には悔いが残っております。義父は脳卒中後遺症で長い入院生活をしておりましたが、九州の義母からある日心配のあまり私に連 絡がありました。急いで入院中の九州の某公立病院に駆けつけました。集中治療室の前の廊下で心配顔の母に色々聞いてみると、呼吸困難が次第に増強したた め、集中治療室に入ったということでした。急いで集中治療室に入って義父のベッドに行くと、意識のないまま気管内挿管され、人工呼吸された哀れな義父の姿 に驚きました。やはり内科で治療されておりましたが、集中治療室に入った理由がもうひとつはっきりしませんでした。やはり主治医に会えないまま帰学しまし たが意識のないまま義父は2、3日の内に亡くなりました。麻酔科の医師が気管内挿管をしたということでしたので、その医師に義父に対する気管内挿管の適応 について聞きましたが、内科から依頼を受けたので、その通りしただけだということでした。義父のような慢性疾患の場合、気管内挿管の適応でないことは集中 治療に携わった医師であれば誰しも周知しているはずです。

 個人的な私の父や義父に対する終末期医療(ターミナルケア)から日本の医療の現場が見えてくると思います。つまり先進諸外国の医療の現状と比較して我が 国の医療に欠けている部分の一つですが、ターミナルケアはあまり関心を持たれておらず、ないがしろにされているということです。治らない疾患となると特に 若い医師は関心が薄くなり、回復の可能性がある疾患ばかりに目をやるきらいがあります。意識のないまま管に繋がれ家族との最後の別れをすることもなく逝っ てしまうのは本人も家族も望むことではないと思います。最後の時こそ、痛みもなく息苦しさもなく、家族の温かさに包まれながら生きたいと思うはずです。以 前より私は専門の立場から、ターミナルケアに関心を持っておりましたし、機会がある限りそのような現場に立会い、いかにターミナルケアが重要な医療分野で あるかを関係者に力説してきました。しかし、これを阻む我が国の制度に問題があります。

 医療において回復可能な疾患の治療よりむしろ重要なのは回復不可能な疾患を持った患者への取り組みだと思います。特にターミナルケアは、その方の人生の 最後を締めくくる場ですから最も重要な医療であると思います。しかしそうは言っても簡単ではありません。息苦しさを和らげ、痛みを取ってあげることは、私 共の専門の知識や技術からは可能であります。私が相談に乗ったケースでは、私が診るまではほとんどが睡眠薬の投与や人工呼吸で逃げております。意識がない 状態では人生ではありませんし家族との会話も出来ない状態ですから、これは良いケアとはいえません。また、息苦しさを除き、痛みを取ってあげるだけでは十 分とはいえません。その患者さんの趣味、人生観、家族とのつながり、経済的背景などを総合的に判断し、家族との十分な納得行く対話も必要です。それには主 治医だけでは十分でないかもしれません。専門医によるチームプレイ、つまりチーム医療が必要な場合もあります。主治医と患者間のみならず主治医と各専門医 間、さらに各専門医間の密接な連携があって初めて納得のいくターミナルケアが可能です。

 それではどうして我が国ではターミナルケアが疎かになるのでしょうか。それは専門医間の横のつながりが乏しいことがまず挙げられます。医療の専門分野は かなり広く、同じ専門分野においてもそれぞれ細分化し得意な領域というものがあります。例えば私の専門領域でも、術中管理、集中治療、救命救急、ペインク リニック、とそれぞれ専門が分かれてきております。術中管理においても更に細分化され、開心術中管理、産科麻酔、小児麻酔、などがそれぞれ独立した学会を 持っているほどです。問題はその専門性を一人の患者にどう生かしていくかだと思います。一人の患者に対して、各専門医が一堂に会して討論し、その患者に最 善の治療を施すというシステムを確立していくことだと思います。1960年代に米国の私の居たメイヨークリニックではすでにこのようなチーム医療が確立し ていました。しかし、我が国では21世紀に入った今日未だにこのシステムが出来ていません。やっと病院間連携は出来てきましたが、肝心の院内における各科 の横の繋がりが十分には未だ出来ていません。その背景をさらに探ってみますといくつかの問題点がありますが、その主なものは二つあります。

 第一に、我が国の古い体質の医局制度の存在です。自分の講座或いは医局が発展しさえすればよいという体質です。他の科や医局はどうでも良いのです。しか し患者は医局の為にある訳でもありませんから、困ったものです。つまり医局制度からきた縦割り社会のもたらした弊害が根強くあるのです。これは何も医療界 だけではありません。官僚以下日本全体の問題でもあります。この縦割りは物理的に見ても、社会経済的に観ても大変効率が悪いのです。勿論全て効率が良いも のが良いと言う積りはありません。最も大切なのは医師と患者の信頼関係です。その信頼関係を打ち立てる為にも、専門医間の密接な横のつながりが必須です。 父や義父の場合も専門医師間の十分な横のつながりがあればもっと良い終末期を迎えることが出来たはずです。

 第二に我が国の医療保険制度の問題です。例えば、父や義父の場合、他の専門医が医療チームとして加わったとしても、治療費は全て主たる科、つまり父の入 院していた科にしか治療費が支払われないのです。そうしますと、チームとして加わる他科の医師の積極性を生むことに繋がらないのです。つまり余計な仕事と してしかみなさないきらいが出てきます。医療保険制度については、他にも例えば、出来高払いの問題があります。ここでは本題と離れてしまいますので、触れ ませんが、これも真の専門医の育成を阻んでいることは確かです。厚生省はこの問題について姑息的な改正を次々にやっておりますが、根本的なことについては 手を触れておりません。若い医師が終末期医療にもっと積極的になれるような制度にしていくことも必須です。

医療保険制度の問題も間接的に関わってはきますが、これからの日本の医療にとっては専門医間の密接な横のつながりをどのように構築していくかが重要な課題 だと思います。そのためには、医師だけではなかなか難しいのではないかと思います。セカンドオピニオン、サードオピニオンの立場から、医師(あるいは医療 提供者)と患者さん(あるいは医療消費者)間を取り持つような組織の構築がこれからは不可欠です。このような組織や制度創りによって医師間の横のつなが り、患者と医師のつながりがより確かのものになるはずです。

2010年11月 4日 (木)

公害と健康:みんなで出来ること

人類のこれまでの歴史は文化や科学創造そしてその媒介としての経済活動の歴史であったと同時に公害排出の歴史であったと言えるでしょう。18世紀、英国に端を発した産業革命はまさにその先例です。我が国でも1883年、足尾銅山鉱毒事件は公害運動の原点と言えます。

第2次世界大戦を終末に導いた広島、長崎の原爆による被害は今もなお被災者に影を落としています。戦後1954年のビキニ環礁水爆実験による日本漁船員の放射能被害、そして1955年に報じられた神通川イタイイタイ病、翌年の水俣病などは公害病の原点と言われています。公害物質の排出量の増加は、20世紀になって、かって人類の歴史には見られなかったほどに急激に増え、益々加速しています。

その結果、空気、水、土壌全てが汚染の度を増しています。空気の汚染は直接的に、肺を通して体内に、水、土壌の汚染は農産物を通し、また動物の食物連鎖を通して人の体内に取り込まれていきます。最近新しく発生した種々の動物を介したヴィールスによる感染性疾患群もまた間接的な公害病と言えます。それら汚染物質は工場や車、個々の家庭から排出された二酸化炭素、窒素酸化物、粉塵、種々の科学物質、鉛、水銀などの重金属物質、放射性物質等です(1,2,3,4)。この度の福島原発事故は人為的公害の最たるものでしょう。

そして地球上の崩壊ベルトと呼ばれる中南米、東南アジア、アフリカにおける森林破壊の急速な進行です。その原因をさらに掘り下げていくと、先進国の利己的国益主義、発展途上国の急速な経済発展と富裕対貧困の二極化にあります。それに追い討ちを掛けているのが、戦争による文化や自然の破壊、有害化学物質の拡散、核物質による放射能排出等です。これら有害物質はその地域に留まらず、偏西風、海、交通、食物などを介して地球規模で拡大しています。

勿論、人類は其れを黙って見過ごしているわけではありません。国連による種々の国際的機構、NGOや各国独自の対策が講じられています。問題は、汚染の広がりやスピードがその対策を遥かに上回っていることだと思います。その対策は、急速に進む公害に有効に対処できるのでしょうか。其れは結局、我々各個人の意識に委ねられているとしか言えないように思います。公害は今や一企業に止まらず、各個人の生活スタイルにまで遡れるまでになりました。つまり我々一人一人が公害の加害者であると同時に被害者でもありえるという複雑な経済社会機構になっているからです。その解決の為には、資本主義の市場経済至上主義の負の側面を十分に認識することではないでしょうか。

資本主義経済においては、企業の収益を上げるためには、生産量を増やすと同時に生産効率を上げる必要がありますが、生産量を増やす為には、消費者の消費量をいやがうえにも増やさねばなりません。その為には企業側は消費者の消費量を増やすあらゆる手段を講じなければならず、消費者が其れに乗らなければなりません。ここに消費者の無駄な消費が生じかねません。生産効率を上げる為には、有能な人材を確保し、有能でないものは切り捨てていかねばなりません。有能な人材を確保する為には、市場原理に則り人を金銭で売買する必要が生じます。ここに人間としての尊厳や倫理観の喪失が必然的に生じます。

資本主義の経済効率至上主義をいま見直されなければ、終局的に人類の破滅に繋がります。これら資本主義経済の負の側面を人類はこれからどのように解決していくかが、人類存続の重要な鍵を握っていると思います。
このような資本主義経済の負の側面をカバーするためには、国を挙げて、また国連においても人類の叡智を結集して緊急にやらねばならない課題が数多くあります。それでは、各個人は其れを待つ以外に方法はないのでしょうか。我々一人一人に出来る事はないのでしょうか。いくらでもあります。

卑近な例を挙げると、車の排気ガスをどのように減らすか、或いはその中に含まれている有害物質をどの程度減らすか、を真剣に考える必要があります。運転者はアイドリングをなくし、なるべく低公害車を購入し、スピードを制限するなどは各自出来るはずです。自家用車の使用を各自最小限度に制限し、公共の交通機関を利用すべきです。

自治体としても、それを積極的に推し進める必要があります。東京都は遅まきながら、自治体として車の排気ガスに対してはその対策を取り始めました。さらに、家庭内から出される塵、排水などにも、もっときめ細やかな対策が望まれます。また再生利用製品に対しても国や自治体は税金面でさらに奨励する対策を練るべきでしょう。例えば乾電池使用を極力控え充電式に切り替えることを各個人や自治体で積極的に奨励する必要があります。

農作物に対しても、化学肥料は確かに簡単で有効ですが、長い目で見ていくと経済効率からも医療経済からも決してよくありません。除草剤や殺虫剤の使用も自然破壊に繋がります。それに対処する為には草刈機を使用したり虫の天敵などをもっと積極的に保護利用し、また国や自治体としてもこの方面の研究を奨励してくべきです。松くい虫予防空中散布などはあまりにも浅薄な行為です。また最近問題なのは、遺伝子組み換え農作物です。自然の生態系を破壊し人体への影響が懸念されます。特に胎児や発育中の子供に対する影響です(1)。

公害について物質面からだけ述べましたが、資本主義の市場経済至上主義的考えは、精神面、倫理面で多くの問題を孕んでいます。運送活動としての自動二輪やトラック、バス等による騒音、遊戯店、飲食店、列車やホームにおける必要以上の音楽や拡声器の音量、宣伝カーや街頭演説の甲高い音もまた資本主義経済の落とし子と言えます。これらの音は騒音ストレスとしてヒトの精神活動や自律神経機能に直接的に重大な影響を及ぼし、心や身体の健康を蝕んでいます(5)。静かな環境を取り戻し、それをみんなで守るよう、また国や自治体レベルからも積極的に取り組む必要があります。

資本主義経済は我々に多くの生活の豊かさや便利さを提供してくれている反面、上述したように影の部分を同時に内包しています。影の部分の問題解決のためになされなければならないことは、個人レベルから地球規模のレベルまで、気の遠くなるような多くの課題を抱えてしまっている今日、先ず、各個人の意識改革が必須ではないでしょうか。そしてそれを身の回りの出来ることから始め、草の根的に広げていくしかないように思います。

(2011.05.30.更新)


【文献】

1. Swanson JM, Entringer S, Buss C, Wadhwa PDDevelopmental origins of health and disease: environmental exposures. Semin Reprod Med. 2009 ;27:391-402

2.石弘之:地球環境報告、岩波新書、1988

3.原田正純:環境と人体、世界書院、東京、2002

4.WHO: Environmental Pollution, http://www.who.int/health_topics/environmental_pollution/en/

5.Allos BM, Moore MR, Griffin PM, Tauxe RV: Surveillance for sporadic disease in the 21th century: the FoodNet perspective. Clin Infect Dis 38 Suppl 3: S115-20, 2004

2010年11月 3日 (水)

癌死の原因と予防

我が国では癌死が年々増えているのに、米国では減少の一途を辿っています。米国の癌協会(ACS)が1930年代よりきちんとした統計を報告していますので、それを見ますと、男性では、肺癌や前立腺癌による死亡が1990年ごろをピークに急速に減じ、また大腸・結腸癌による死亡はすでに1980年ごろから次第に減少しています。一方、女性では、肺癌死が1960年代半ばから増加のスピードを増し、2000年代になってようやくプラトーに転じています。女性の乳癌による死亡は1990年頃から急速に減少し、大腸・結腸癌による死亡は1940年代あたりから、また子宮癌、胃がんによる死亡はそれ以前より減少しています。これは何故でしょうか。
 その理由を探る為に、Doll and Peto, Miller, ハーバード大学など3施設の調査による癌死の原因・因子に付いての疫学的調査の表を見てみましょう(表)。この表から言えることは、癌死のリスクファクターとして、タバコと食事がそれぞれ約30%ずつ、両者を合わせると49-65%となる事が3報告ともに一致していることが解ります。「タバコによる直接・間接害」の項で述べましたが、米国では行政と医療提供者の強力なキャンペーンによって、1980年代よりタバコ喫煙者が減少し、公共の場での喫煙が禁止され、直接喫煙、間接喫煙の害が減ったことによるとされています。また、食事内容の指導もある程度寄与していると考えられています。
 これらのデータから推計すると、喫煙をなくし、食事内容を注意すれば癌死のリスクを60%の確率で減少させることが出来るわけです。それに比べれば、遺伝的素因による癌死のリスクファクアーは5-8%と意外に小さい事もわかります。尤もこの数値は集団の集計ですから各個人における確率ではありません。癌の種類によっては遺伝的素因が大きなリスクファクターであることもあります。しかし、遺伝的素因は将来、遺伝子診断技術が進めばかなり早い時期に、あるいは前もって予防する事も出来るようになるでしょう。
 これらの事を考慮に入れますとこの表の数値も将来次第に変わってくる可能性があります。例えば、環境汚染や食品添加物などの比率は現時点における調査ではまだ数値の上では小さいのですが、将来、大きな数値となることも予想されます。癌になるには10年、20年単位の「潜伏期」があるとされますので、今すぐにその害が現れるわけではありません。10年あるいは30年先に現れるかもしれないのです。
 癌にならない為の予防対策については世界癌研究基金・米国癌研究協会によって提唱された15か条が我が国でも奨められています。それを簡単にまとめますと、

  1. 植物性食品を主として摂取する
  2. 肥満を避ける
  3. つとめて運動をする
  4. 野菜や果物類を食べる(400-800g以上)
  5. その他穀類・豆類・芋類・バナナなどを食べる
  6. 飲酒しない(1日男性なら1合、女性なら5勺まで)
  7. 赤身の肉は1日80g以下に制限する
  8. 動物性脂肪を控える
  9. 塩分は1日6g以下に制限する
  10. 古い食品(カビ)を避ける
  11. 食品は冷蔵庫か冷凍庫で貯蔵する
  12. 食品添加物や残留物質は規制下で摂取する
  13. 焦げた食物は避ける
  14. 栄養補助食品は役に立たない
  15. タバコは吸わない

この15か条を概観すると、かなりのウェイトを食品に置いていることが解ります。喫煙に対しては最後につけ加えてある程度です。
 それに対し、3施設の報告をまとめた下の表のデータをそのまま生かして予防対策を15か条にまとめると、まず最も重要な因子である喫煙、食事からスタートすべきです。すなわち以下のごとくなります。

  1. タバコを吸わない、吸わせない
  2. 食事のバランスをよくする(動物性脂肪を控えめに、繊維の多い食物を摂るなど)
  3. 感染症に罹患しないよう注意する
  4. 仕事で無理をしない(ストレスをためない)
  5. 遺伝的素因のある人は早め早めに定期的にチェックをする
  6. 清潔で調和のとれた性生活をいとなむ
  7. 長期の座位をなるべく避ける(例えば、しばらく立位で仕事をしたり散歩するなど)
  8. 乳幼児期・成育時期に健康に関する教育をおこなう(食事、運動、環境を含め)
  9. 地理的条件の良い所に住む(これには多くの因子が含まれているが、特に光、放射能)
  10. 酒を飲みすぎない(これには、個体差、民族差が大きいので、その量は一律には定められない、自らの適量は自ら決めるしかない)
  11. 一般の健康管理や医学的常識に関する教育水準を上げ、行政や医療提供者側も積極的な啓蒙活動をおこなう
  12. 生活廃水、工業排水、石油燃料による車の排気ガス、工場からの排気ガスなどを最小限度にくい止める
  13. 医療機関側も不必要な薬物投与や不必要な検査は控える。
  14. プラスティックなどの石油製品をなるべく避け、天然素材を使用する
  15. 過度の食塩摂取や食品添加物を含んだ食品をできるだけ避ける

 以上が、この表から導き出した、癌死を避けるための15か条になります。ここでも改めて何より強調しておかなければならない事は、間接喫煙による他人への健康被害です。この見えない緩やかな殺人的行為を喫煙者は重々知っておかねばなりません。
 しばらく外国に滞在し、成田に到着して、まず気付くのはタバコの煙の臭いと蒸し暑さです。蒸し暑さは我が国の地理的条件ですからやむをえないとして、タバコの臭いが国の玄関口で迎えてくれるというのは、先進国の仲間を自負する国として如何のものでしょう。

表 癌死の原因と考えられる種々の因子

癌死原因・因子
(推計確率)
Doll and Peto
( % )
Miller
( % )
Harvard
( % )
1. タバコ 30 29 30
2. 食事内容 35 20 30
3. 感染 10 - 5
4. 職業 4 9 5
5. 家族歴(遺伝) - 8 5
6. 性生活歴 7 7 3
7. 座位の仕事 - - 5
8. 誕生・生育歴 - - 5
9. 地理的条件 3 1 2
10. 飲酒 3 6 3
11. 経済的因子 - - 3
12. 環境汚染 2 - 2
13. 薬物・医療的因子 1 2 1
14. 工業産物 1 - -
15. 食塩・食品添加物 - - 1

【参考文献】

  1. Am Cancer Soc: Statistics for 2004
  2. Leonard B: Cancer Prevention and Control. Healthy Maine 200: A Decade in Review
  3. Ezzati M, Lopez A: Estimates of global mortality attributable to smoking in 2000. Lancet 362: 847-852, 2003
  4. Shafey O, Dolwick S, Guindon GM: Tobacco Control Country Profiles. Atlanta: American Cancer Society. http://www.globalink.org/tccp: 2003
  5. 野口行雄:全ての癌の原因は喫煙(タバコ)であるーその証明と発癌論. http://www.anti-smoke-jp.com/cancer/hatsugan.htm: 1999

2010年11月 2日 (火)

タバコの直接・間接害

タバコの健康に対する害については既に科学的に証明された事実です。1970年代初期までは、その害について動物実験では証明されていましたが、もうひと つ人における疫学的・統計学的調査が十分ではありませんでした。1970年代後半から1980年代になって米国のNational Cancer Institute(NCI,国立癌研究所)が主となりきちんとした疫学的・統計学的調査によって、喫煙が癌の原因になることが明確になりました。さら に、直接喫煙より間接喫煙のほうが10倍以上毒性の強いことも解ってきました。1990年代、米国では間接喫煙によって肺癌になった女性が タバコ会社や自分の勤めている会社を相手取って、多額の賠償訴訟を起こし、それを勝ち取ったことは新聞記事等で記憶に新しいところです。米国政府もその調 査にいち早くのり出し、タバコ会社に喫煙は健康に有害であることを商品に表示することを義務づけました。またニューヨーク州はそれに早速対応し、公衆の場 所での喫煙を禁ずる法令を作り実施しました。その後、米国の各州もそれに習い次々に公衆の場所での喫煙を禁ずる法令を出しました。ニューヨーク医師会は医 師に対する喫煙を禁じております。かなり厳しいもので、喫煙者は医師免許停止処分になります。患者に指導する立場にあるものが、喫煙することは許されない という理由からです。同じアジアでも、シンガポールは公衆の場における喫煙にたいしかなり厳しい罰則を科しています。
 それに比べ、我が国の現状はどうでしょう。具体的な実の有る対策は一切とられておりません。JT(日本タバコ株式会社)は相変わらず、どうにでも取れる 表現で逃げています。「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎには注意しましょう」です。吸い過ぎとは1日何本を言うのか、吸いすぎなければ 健康に害がないのか、なんともおぞましい広告です。

 米国は医療経済がかなり進んでいて、その報告によると、タバコ会社やタバコ喫煙者から得られる税金の収入と、喫煙が原因で発生する癌や循環系疾患、其の 他の疾患による医療費支出とを比較すると、後者がずっと多額であることが報告されています。つまり、国民がタバコを吸わない方が国家財政的にも遥かに有利 であると言うことです。
 何よりも重要なことは間接喫煙がより有害であることを、もっと知っていただきたいことです。タバコ喫煙本人は自らの健康障害を誘発していることもさるこ とながら、同時に周囲の他人に対してもより大きな健康被害をもたらしていることをちゃんと知って欲しいと思います。他人に癌を植えつけるばかりでなく、他 人に脳卒中、心臓疾患、喘息発作、小児の突然死、などを惹き起こしかねないのです。副流煙の安全基準というものはありません。つまり、いかに低濃度の副流 煙でも他人に健康被害をもたらす恐れがあるということになります。
 癌死の原因調査でタバコによると考えられる確率は、ハーバード大学の調査でも、Doll and PetoやMillerの調査でも約30%です。最近の野口氏の調査では、肺癌を含め癌になる確率は男子喫煙者の40%、女子喫煙者の50%と考えられる としています(肺癌のみでは男子喫煙者の約8%、女子喫煙者の約10%)。また、夫が喫煙者で妻が非喫煙者の場合、妻が癌になる確率は、30―35%と考 えられるとしています。
 直接喫煙、間接喫煙による煙の中にはベンツピレンなど発癌物質が60余も含まれているのです。それが口腔や咽頭喉頭、胃、気管支、肺胞に直接害を及ぼすばかりでなく、血中に移行し全身の臓器に癌発生のリスクを与えているのです。

 喫煙は癌を発生させるばかりでなく、米国の心臓死の30%は喫煙が原因とされています。脳卒中、末梢血管障害、慢性肺疾患を惹き起こすリスクを増大させ ることも証明されています。また喫煙者はインシュリン非依存性糖尿病になるリスクが非喫煙者の2倍になることも知られています。つまり、喫煙者の60%以 上が直接喫煙によって癌や心臓疾患・脳卒中のいずれかで死亡する確率になります。
 著者の留学していたメイヨークリニックの調査では、両切りタバコ時代よりフィルターつきタバコ時代の方が、肺癌の中ではより悪性度の高い腺癌が有意に増 加している事が示されています。我が国における野口氏の調査でも1985‐1997年間において男子の肺癌のうち腺癌が扁平上皮癌を上回るようになり、女 子では腺癌が約60%を占めています。この事から野口氏は腺癌の増加はフィルターつきが原因と考えられると報告しています。また、毒性のより強い副流煙に よる間接喫煙も腺癌が出来やすいと考えられるとしています。著者の専門とする手術中の全身管理や救急領域の患者さんにおいても、喫煙者は術後呼吸障害を起 こしやすく、呼吸管理に手間取ります。
 このようにタバコの害は私達が考えている以上に深刻です。それでもなおタバコを吸いたい方は、副流煙が少しでも外に漏れない気密な部屋で吸うしかありま せん。他人に害を及ぼさないように。何故なら前述したように副流煙にはこの値以下は安全であるという安全濃度閾値がないからです。職場だけではなく、食 堂、喫茶室、道路を含め公衆の場所では全て禁煙にすべきです。禁煙席を設けてある店はまだましですが、それでも、残念ながら喫煙席から流れてくる副流煙か ら逃れることはできません。JR構内やフォームでわざわざ喫煙コーナーを設けているのは如何のものでしょう。非喫煙者には迷惑なコーナーです。遠く離れて いても副流煙に悩まされた経験のある非喫煙者は多いと思います。まさに公害というものです。

 こう言う私も実は1970年代までは愛煙家でした。タバコによる害がまだその頃までは、はっきりしていなかったこともあります。特に副流煙による毒性が これほどまでに強いとは知られていませんでした。紙巻タバコはおろか、葉巻、パイプタバコと吸い放題でした。子供の前でさえタバコの煙による輪を作り得意 になっていたのですから。その害が科学的に証明された1980年代初期には既に止めましたが、その害はこれからでるかもしれません。それが自らの健康被害 としてなら自業自得ですが、その害は家族や他人の健康被害としてこれから出るかもしれないのです。無知による罪悪というべきでしょう。反省してももう遅い のですが、その罪滅ぼしに、その害に付いて医師として一般の方々や患者への説得を通し強力な啓蒙をするしか方法がありません。

 医療提供者側も行政側ももっと積極的にタバコの直接の害のみならず間接的な害をプロモートすべきではないでしょうか。


【主な文献】

  1. American Cancer Society:Statistics for 2004
  2. Ezzati M, Lopoz A. Estimates of global mortality attributable to smoking in 2000. Lancet362:847-852, 2003
  3. Peto R, Lopez A, Boreham J, Thum M, Heath CJ Mortality from smoking in developed countries 1500-2000. Oxford University Press, New York,1994
  4. Shafey O, Dolwick S, Guindon GM: Tobacco Control Country Profiles. Atlanta: American Cancer Society. http://www.globalink.org/tccp; 2003
  5. Warner K, Hodgson TA, Carroll CE: Medical cost of smoking in the United States: estimates, their variability, and their implications. Tob Control 8:290-300, 1999
  6. Leonard B: Cancer Prevention and Control.Bureau of Health, Maine Department of Human Services, 2000
  7. Medical Tribune 33(15),P20,2000

2010年11月 1日 (月)

はじめに

平成養生訓と題した本書は、貝原益軒著「養生訓」(益軒十訓の一つ、1713)に因んで名づけたものである。益軒(1630-1714)は多くの和漢の事 例を引用して江戸時代の風俗習慣の中からその時代に即した健康増進法を述べている。現代の我々の生活習慣からでもその一部は参考になるかもしれない。

 現代社会は激動の時代と言える。20世紀後半からの社会の変動はきわめて大きい。第二次世界戦争の勃発と終結、その後の世界を二分する冷戦時代とその終 焉、そして世界各地における民族紛争、そしていま新しい形のテロとの戦いに大国は脅えている。電子技術や情報技術の驚異的発展とその影の部分である情報の 氾濫とコンピューターヴィールスや情報犯罪がその恩恵を揺さぶっている。
 医学の世界でも免疫抑制薬の開発による臓器移植の発達、DNAの発見と遺伝子操作技術の開発そしてその解読や臨床医学への応用と留まるところを知らない 程である。一方、その影では生命倫理観に関する種々の問題点を我々に投げかけている。エイズ など逆転遺伝子を持ったヴィールスによる新たな疾患の登場と世界規模の感染者の増大も大きな問題である。そして忍び寄る地球温暖化と異常気候や化学物質に よる地球環境の汚染は人類をはじめ生物全体の生存に対し警鐘を鳴らしている。この大きな問題に直面しているにも関わらず我々の対策はまだまだ遅々として進 んでいない。自社あるいは自国の経済的発展ばかりにうきみをやつすあまり、事態は深刻化するばかりである。これらの諸問題に対し、マスコミの報道も極めて 表面的な知識の齧りでしかなく、一般に対し正確な知識が伝わっていない。最近の健康食ブームも異常なほどである。医学情報(と言うより宣伝的医療情報と いったほうがよいであろう)の氾濫もこれに拍車をかけている。これらの医療情報の正確性については検証する必要があろう。

 医学は、と言うより医療は極めて不完全なものである。人間に対する医療行為に理想的方法は無い。現時点でよりベターと考えられる方法はあるが、それもす べての人に敷衍できるものではない。科学的に確立された方法も実は確率論的に5%の危険率で有意であるにすぎない。つまり簡単に言えば、ある医療技術や医 薬品が有効であると結論する場合、100人の中、95人に有効であればよいのである。あとの5%の人には効果がなくてもよいのである。もう少し、突きつめ ると94%の人に効果が認められ、6%の人に効果が認められなければ効果があるとは言えない。1%の差で有意であるか無いかが決まるのである。この辺にも 科学としての医学と一人一人に対する医療との限界が見えてくるし、5%と言う数字の持つからくりも見えてくるだろう。そしてまた、困ったことに新しい医療 技術というものはその時点ではよりベターと考えられた方法でも後で開発された方法によってベターでなくなったり、副作用が続出したりするものである。それ に伴って、臨床医学は絶えず変動する。したがって、臨床を行うものは好むと好まざるに関わらず、終生、知識や技術の獲得に躍起でなければならないのであ る。もっと厳しく言えば、臨床医の不勉強は罪悪であると言える。何故ならその臨床行為は直接患者の生命に関わるかもしれないからである。

 本著は、今臨床に用いられているいくつかの方法や薬について検証し、現時点での問題点について解説し、読者により正確な知識を提供するのが目的である。